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桜沢如一のことば

拙著『桜沢如一。100年の夢。』の推奨文

 桜沢如一がこれほどまで忘れられているとは・・・。マクロビオティックを知っていると応える人でも、その創始者の名前は知らないと大半が応える。
 ある程度予期していたことだったが、これほどまでとは想定外で、唖然茫然としている今日この頃。でも、嬉しい便りもぼつぼつ届いている。
 健康科学実践会の主幹・山田喜愛先生の推奨文もその一つだ。ご自身の主催する会で配るために書いてくださった文章である。過分とも言える表現もあってテレてしまうが、大変ありがたいことに、桜沢如一を知らない人に対して本書の意図を的確に解説してくださっている。山田先生のお許しを得て、そのまま転載させていただく。                                                   (平野隆彰)

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精神は神のごとく、肉体は野蛮人のごとく

精神は神のごとく、肉体は野蛮人のごとくあるのが人間の理想の姿であるが、食養を実践したら、山野を疾駆しても疲れを知らない未開社会の人のようにたくましくなれる。
                                                                    『新しい食養学』

よく心身一如というが、ココロとからだがばらばらで、一如をなかなか実感できないのが人間である。今日のような便利だが不健康な文明社会に暮らしているとなおさらだ。精神は神のごとくというのは難しいけれど、せめて肉体は野蛮人のごとくありたいもの。
桜沢如一は、またこうも言う。

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「遊ばざる者食うべからず」

  "静と動"が常に同時進行

 行動する思想家・教育家であり、事業の才もあるリアリストでもあった桜沢如一は、74年の人生を速足で駆け抜けた。その膨大な著作や行動の軌跡をみても、「常人の四、五倍の超人的な生活」であったことがうなずける。晩年には、「一生で最大の収穫」と称した生体による原子転換の研究に夢中になったり、世界政府連盟の運動に参加するなど、"静と動"が常に同時進行している。しかしその当人は超多忙とは思っていなかったようだ。自分の関心と情熱の赴くままに、好きなことを夢中でやっていたからだ。PU原理の陰陽(静と動)バランスの取り方を体得していたからともいえる。

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心は歳をとりません

 小説家は諦めたが・・・

 「私は子供のころから、よく夢を見ました。大きくなったら小説家になりたいというのが人生における私の最初のユメでした。その後トテモ小説家になれないと悟って、セメテ翻訳家になりたいという夢を抱きました」(『宇宙の秩序』)
 桜沢如一は、小説家になることは諦めたが、生き方そのものはまるで少年冒険小説のようにおもしろい。本人も、自分の人生をおもしろがっている。精神が若々しく、心が歳をとらないからだ。
「私は四十九歳になりました。四十九歳! もうすぐ五十歳です。ホントーかしら? ウソじゃないかしら、と思うのです。しかし、たしかに今年もお正月をしました。けれども心は、精神はまだ十七、八歳の頃と同じです。いや、三つか五つくらいの時と同じことなのでしょう。『三つ子(瑞児)の魂百まで』とか『雀百まで踊り忘れぬ』といいます。知識は子供の頃よりふえたようですが、心はちっとも大きくなってはいません。精神はちっとも変りません。精神は姿がないのですから、心がよったり、大きくなったり、小さくなったりしません」(前著)

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水野南北―石塚左玄―桜沢如一

小説『だまってすわれば』

小説『だまってすわれば - 観相師・水野南北一代』(神坂次郎著)を面白く読んだ。この小説によると、全国に一千人もの弟子がいたという南北はその晩年、伊勢参宮により豁然と大悟した。
五十鈴川の清流で禊をし、食を断じて21日間の荒行をしていた南北が、その満願を迎えた日。宇治橋を渡っていく伊勢講の一団の先達が話した言葉が、南北の朦朧とした頭の片隅に飛び込んできた。
「先刻お詣り申しました外宮に鎮座まします豊受大神、別名を御食津神(みけつかみ)と申しあげて食物一切の神様で・・・・」
その声を耳にした瞬間、南北はあたかも霹靂に打たれるごとくであった、という。もとより南北は、運命判断の基礎は"食"にありと観じていたからだ。伊勢参宮の後、南北は一気に筆を走らせた。
「それ、人は食を本(もと)とす。たとえ良薬を用いるといえども、食なさざれば生命を保つことあたわず。故に人の良薬は食なり。・・・・略。人を相するに、まず食の多少を聞き、これによって生涯の吉凶を弁ずるに一失なし。故に是を予が相法の奥意と定む・・・」(南北相法極意 修身録)。

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人の顔は食物の明細表

人を見ると食物に見える                                                                                   

人の顔は、母体時代からの食物の明細表である。水野南北は、ある人に、人相学の奥儀を究めるためには、何をいかにして勉強すればよいか、と質問されたとき、
「人の食物を究むるのみ」
と言下に応えた、ということである(『南北相法修身録』)。私は、いつのまにか人の相に、その食物を読むことをおぼえてしまったのである。これは、まことに困ったことである。私は、人を見ると食物に見える-------あるいはクダモノに見えたり、あるいは牛乳や卵に見えたり、トンカツに見えたり蒲焼に見えたりするから・・・・
その人の今日の食物がわかると、その人の過去の一生が分る。家庭が分る。境遇と経済が分る。したがって気質も性格も精神も分ってしまう。どこにどんな病気があるか、いつごろ性病をやったか、子宮が後屈になっているか、メンスがドレホドくるっているか、まで分ってしまう。つづめて言えば、幸福な人であるか、不幸な人であるかが分る。(桜沢如一著『食養人生読本』より)

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『魔法のメガネ』の幸福論

"陰陽の無双原理"をさやしく説く

始めあるものにオワリあり
表あるモノにウラあり
表大なればウラも亦大なり  
        如一mahounomegane.jpg

桜沢如一は、陰陽の「無双原理」を端的に表現するのに、好んでこのコトバを書き残したようだ。
故丸山博先生(大阪大学教授)のお宅にも、この文言が残っていた。色紙に揮号するといったものではなく、何気ない会話の折にその辺にあった厚手の紙にペンで走り書きしたような文字である。文字に力みがないだけに、桜沢の確信(サトリ)が伝わってくる。 当たり前のような言葉だが、宇宙といのちを抱きかかえた、奥深い意味が込められている。

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英語で書かれた『ゼン・マクロビオティック』

  「無双原理」を携えて

 桜沢如一は、1929年(昭和4年)、36歳のときに自説の「無双原理」を世界に発表すべくシベリアを横断し、単身パリへと無銭旅行を敢行した。パリでは市場で捨てられた野菜くずや野草などを食べて自らの理論を実践する生活を送り傍ら、ソルボンヌ大学、パスツール研究所に学んだ。やがてフランス語で書いた著書をパリで出版しているが、晩年には『ゼン・マクロビオティック』を英語で書いた。
これには4種の原本があり、最も古いのが1959年末~1960年初め、ニューヨークでタイプ印刷版として出版されている。これに加筆して61年に出版したのが、実際上の初版だという。61年といえば桜沢の亡くなる5年前、68歳のときである。アメリカではロングセラーとなり、George Ohsawa(桜沢如一)の名を一躍有名にしたばかりでなく、マクロビオティックを全米に広める土台となった。
『ゼン・マクロビオティック』は、欧米人に向けて書かれていることもあり、東洋哲学から西洋文明(社会)を見降ろした過激な発言も少なくない。核心をついたストレートな西洋批判の部分には反発や冷笑を投げかける欧米人の読者も少なからずいたにちがいないが、遠慮のない確信的な言い方に、サトリを開いた高僧あるいは教祖的な説得力があり、痛快でもある。

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「われ思う、故にわれなし」


 I  think, so I am not.
             Sakurazaw Yukikazu


 桜沢如一は、青年(西尾康人)に一枚の色紙を渡して別れた。その色紙に書かれていたのがこの言葉だった。桜沢51歳。私を超え、死を超えた、深遠な言葉である。

ときは終戦7カ月前の、1945年1月。桜沢は秘めた決意をもって、満鉄に勤めていた青年に突然面会を求めた。
 青年は、桜沢如一が発行する食養学の機関紙「むすび」を購読し、文通も何度かあった。が、高名な学者である桜沢が、面識もない自分(当時24歳)に会うために、はるばる海を渡ってきたことに驚きと感動をおぼえた。

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胃袋の連帯と暴走

世界最大のレストランで

 『もの食う人びと』(辺見庸著)に、「胃袋の連帯」という小見出しで、こんなおもしろい描写がある。
「見ていて飽きない。
 美女がワニのように大口開け、紳士がひげに食べかすをつけ、頬を風船のように膨らませて奮闘している。
 青筋たて、首をうちふって、ものを噛み切ろうとする老人。食べものが通過していく時の、そこだけ別の生き物みたいな、喉のうごめき。
 数千の口と胃袋に詰まっているのは、思想でも主義でもなく、ただ食いものばかりなり。
 ああ、人とは、あなたも私も、もの食う器官なのだなあ、と感に堪えなくなるのである」

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『もの食う人びと』

かつて感動した本

「人びとはいま、どこで、なにを、どんな顔をして食っているのか。あるいは、どれほど食えないのか。ひもじさをどうしのぎ、耐えているのだろうか。日々もの食べているという当たり前を、果たしてどう意識しているのか、いないのか。食べる営みをめぐり、境にどんな変化が兆しているのか。うちつづく地域紛争は、食べるという行為をどう押しつぶしているか・・・・・それらに触れるために、私はこれから長い旅に出ようと思う。」

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たいへん簡単

正しい食物によって子供を育てるのは、たいへん簡単です。なんにも特別な注意や、食物がいりません。その土地に合った昔からの食物をとるだけです。(たとえば、砂糖やバナナのように昔からできなかったものは、とらないこと)  (『食養人生読本』P82)

『生命』と科学

いかなる大学者といえども、ビタミンA、B、C、D、Eを一日どれほどとればいいか、というようなことを決定することはできません。けれども、少量にすぎてはもちろんいけませんし、多すぎてもいけません。いかなるものでも分量というものがあります。(中略)。とにかく、『生命』そのものが、まだ科学には分かっていないのですから、ほかのことはイザ知らず、その『生命』を科学で論ずることは早すぎます。(『食養人生読本』P81)

健全な食欲

食欲あるがゆえに私どもは生きてゆくことができるのですから、生きてゆくことに感謝のこころをもっている人々は、食欲に、あらためて感謝するがよいでしょう。健全な食欲がある、ということは、どんなにありがたいことだか、分かりません。いかに粗末なものを食っても、おいしく感じる人だけが、健全な食欲をもっている人です。(『食養人生読本』初版発行1938年)

いま、なぜ「桜沢如一」なのか?

なぜか気になる存在

故・桜沢如一という人は、マクロビオティック(食養法、正食)の創始者であり、世界的にも知られた人物です。いろいろな意味で社会に大きな影響を与えてきましたが、近年は知らない人も意外に多く、知る人ぞ知るという存在のようです。実は、そう言う私自身、彼の著書を読み漁ったわけではないけれど、誤解を恐れず一言でいえば、食と生(健康)の密接な関係を科学的思考をベースにした東洋的叡智で探求し、幸福論を説いた人ではないでしょうか。

最近なぜか、桜沢如一のことが気になっています(歳のせいか・・・?)。ぱらぱらと読んだ著書のなかの言葉(その深い意味)が気になり、彼の生きざまや存在そのものが気になってきたのです(気になることが、気になるのです)。そこで、これから彼の全著書を読破して、「桜沢如一のことば」としてまとめてみようと思います。徒然なるままに書きますので、気になる人は、気長にお付き合いください。                                     平野隆彰             

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